るろうに剣心 伝説の最期篇

るろうに剣心 伝説の最期篇」を観ました。

まず、結果から加点方式の採点で思い切りバラすと、大体以下の通りです。

ドラマ 2点
音楽 -30点
バトル 250点
=合計222点

(以下バトル内訳)
バトル全般 50点
二重の極み 0点
秘剣・焔霊 20点
紅蓮腕 30点
天翔龍閃 150点

 

上記の通り、非常に歪な映画でした。まともにゼロ知識及びノーガードでこの映画に挑んだ場合は、ただ戸惑いだけが残るのではないでしょうか。または、下手に原作に思い入れがある場合は、打ち捨てられたあまりに多くの物語要素を思いやって失望するしかないのではないでしょうか。

 

僕の場合、この映画への期待点は、「チャンバラにおけるアクションと情動の爆発」という一点であったので、それにはまさに答えてくれた。しかし、それに注力するあまり、他の全てが犠牲になっている。しかしそんな僕みたいな都合のいい観方をしてくれる人が、一般的にどれくらいいるのか。

 

何故ここまで多くのものを犠牲にする必要があったのかは分かりません。金が無かったのか、時間が無かったのか、余裕が無かったのか。

 

良かれ悪しかれ、この映画を楽しむ、という観点からすれば、とにかく今作の本質を理解する必要があります。今作のストーリーの基本線は、「剣心がいかにして志々雄真実を倒すか」です。その一点しかない。もっと具体的にはっきり言えば、「剣心が天翔龍閃をいかに体得し、それを放つかまでの物語」です。それしかない。この根本的なストーリーラインに早い段階で気が付く必要がある。

 

だから、各キャラクターの思惑や感情が縦糸横糸の複雑な絵を描いて、剣心と 志々雄の最終決戦に収斂する原作を知っていて、それを期待するファンにとっては、今作はやたらと剣心の葛藤や重荷のみに終始する展開にイラつくことになるでしょう。

 

したがって、僕の考える結論を言えば、この映画の鑑賞するにあたっての必勝法は、

「剣心が天翔龍閃を放つまでをただひたすらに期待して待つ」。

これです。

天翔龍閃が何なのか知らない人は、とにかく「剣心が苦心して習得した奥義が最後にやってくるはず」という漠然とした期待だけを持ち続ければ良い。 「天翔龍閃は左脚を踏み込んで繰り出す神速の抜刀術」という知識を事前に仕入れておくのがベターと言えばベターですが、そんなことはおそらくどうでもいい。

 

天翔龍閃は、完璧でした。 

るろうに剣心」という映画の最大の魅力は、フィジカルを限界まで駆使して通常の人間の挙動を超えることの美しさ、そしてそれによって感情までも表現すること、成立しえないものを成立させたときに生まれる迫力にあります。天翔龍閃とは原作における絶対奥義であり、あまたの技の頂点に位置します。しかしそうでありながら、表現としては「ただ猛烈に素早く切りかかる居合抜き」でしかない。漫画では迫力ある絵で表現すれば嘘を付けたものが、これを映画で、役者の肉体でやるとなればどうやればいいのか。最も重要なアクションが、最も難しいのです。まともにやったらどう考えても寒い。しかし、彼らはやった。これを成立させた谷垣アクション監督と佐藤健には心から称賛を贈りたい。

 

 

そして、物語の最後の最後に殺陣の頂点を持ってきた構成によって、この映画がアクションの、フィジカルの復権を高らかに歌いあげていることに感動します。

この映画の脚本に対し僕が唯一、心から共感するのは、「天翔龍閃を志々雄を倒す一発のみのために取っておいたこと」です。原作では志々雄戦まで何発も放たれたこの技は、映画では是非ともこうするべきだった。この構成にしていなければこの映画は完全に目標を見失って破綻していた。そして満を持して放たれた奥義は、絶対の破壊力で志々雄を一撃で倒す。 限界を超えて肉体を酷使し続け、あらゆる技を尽くし続けたこの映画にふさわしい、辿りつく場所として完璧な、堂々たるフィナーレと言っていいと思います。

 

しかし、

しかしです。

僕がどうやってもこの映画を擁護できない最大の問題点は、剣心の「赤い胴着」の扱いです。これには本気で驚かされた。

蒼井優演じる恵が、東京に戻ってきた剣心に「赤い胴着」を手渡すわけですが、これは物語を破綻させている。誰もが、「京都大火篇」で物干しざおに掛かったこの胴着をこれ見よがしに映すカットを観たときに、「やがて東京に帰って来た剣心を薫が出迎え、この胴着を渡し、決戦に赴くヒーローを見送る」という完璧な絵を思い浮かべたはずが、実際には全く無意味なシーンに堕しています。

この胴着は剣心とヒロイン薫の関係の象徴であり、流浪と後悔の生活を送っていた剣心を太陽の下に連れだした、愛の証だてであるから、二人以外には触れることができないはずが、その事実が思いっきり無視されている。どうしてこんなことになったのか。僕には、これはキャスティングの契約的な問題があったとしか思えない。つまり契約上、後篇でも蒼井優を必ずどこかに出演させる必要があって、脚本的にそれをぶっこむことができたのが、このシーンしかなかったという。観客がこれのストーリー的な矛盾に気付かないと思っているとしたら、あまりに馬鹿にし過ぎている。

 

他にも、剣心の斬首手前に至るまでの捕縛と解放のグダグダ(縄を無意味に縛ったり外したり)など、無駄としか思えない構成に満ちたこの映画は、本当に歪です。期待するものによって評価が大いに変わる、稀代の博打映画と言えるでしょう。